【佐賀発】光樹とまと 酸味・甘味・旨みのバランス技!大玉トマトのセオリーを打ち破る有明育ちの「光樹とまと」
日本一の干満差がある「有明海」。ムツゴロウやワラスボなどが棲みつき、独特の生態系を作り出しています。この海につながるミネラル豊富な干拓地で、手塩にかけて育てられているのが「光樹とまと」。厳しい選果基準をクリアしたトマトだけが名乗ることを許され、酸味・甘味・旨味のバランスが絶妙です。なめらかな舌触りを持ち、実がギッシリ詰まっているなど、他の大玉トマトには見られない特長をいくつも持ち、プロの料理人からも高評価。かの有名シェフのお墨付きを得て、ますます注目を浴びる存在です。
レギュラー箱(約1kg・10〜16個)
3,240円(税込・送料別)
※2月末〜5月末まで出荷予定
古くは推古天皇の時代から農地として利用されてきた有明海の干拓地。河川が運ぶ養分と海水に含まれるカルシウムやマグネシウムなどのミネラルが混じり合う豊かな土壌を生かし、トマト栽培が盛んに行われてきました。川副町でも大玉トマト「ファーストトマト」の栽培をしていましたが、お尻の部分がピンと尖り、パッケージを突き抜いてしまうと市場からクレームが。そこで当時種苗業者が開発したばかりの品種「サンロード」を栽培したところ、土壌との相性がとてもよく、酸味・甘味・旨味のバランスが絶妙で、果肉たっぷりのトマトが収穫できました。「これは川副町の特産品になる!」と有志が集まってこのトマトの部会を結成。平成元年のことでした。
当時はまだ品種の正式名称が決まっていなかったため、種苗業社から特別にブランド名の一般公募が許されました。数ある候補の中でメンバーの目を引いたのが、小学生から寄せられた「光樹とまと」。“太陽光をたっぷり浴びて育ったトマトの樹”というネーミングの意図と響きが決め手となって命名されました。早速、販路開拓を始めるも、当時市場で絶大なシェアを誇っていた品種は「桃太郎」。無名のトマトは受け入れられず、苦戦を強いられていたところ、東京の青果市場が一手に引き受けてくれることに。東京の料理人たちから高い評価を受け、日本一の値で取引されるようになり、「光樹とまと」の名はたちまち全国区になりました。
川副町は面積の半分以上が有明海の干拓地。起伏が少なく肥沃な土壌を生かし、古くから盛んに農業が行われていた。江島さんのハウスも広大な農地にしっかりと根を下ろしている。
12月頃から花が咲き始め、次々と実を結ぶ。時間をかけて大きく濃厚な味わいに育てるため、わき芽取りや摘花、こまめな温度管理に日々追われる。
空気中の水分を求めて表皮から産毛を伸ばし、上下のカラーコントラストがはっきりしたものが、上質な光樹とまとに育つという。樹上で真っ赤に完熟したら、ようやく収穫。
放射状の「スターライン」がくっきりと現れ、出来の良さを物語る。通常はこのラインに沿って房に分かれるが、光樹とまとの断面は蜂の巣状で、ゼリー部分が少なく果肉が非常に多い。
光樹とまとは秋に苗を定植し、結実してから約100日かけてゆっくり大きく育てます。その間、わき芽取りや摘花などの手作業が続き、1日たりとも目が離せません。温度管理も出来を大きく左右するため、ハウスを開放したりボイラーを焚くなど、こまめに調整。また、通常は販売期間を長くする目的で青いうちに収穫するところ、光樹とまとは樹上熟成して味わいを凝縮。熟れた状態での収穫は表皮を傷つけやすく、細心の注意が必要です。高値で取引されても、これだけの手間暇がかかって収量は他のトマトの半分以下。しかも厳しい選果基準をくぐり抜けて光樹とまとと名乗れるのはその7割程度。生産性を求めて部会を離れていったメンバーもいるといいます。
現在光樹とまと部会のメンバーは12人。これだけの手間暇をかけてもなお、「もっといいものを作りたい」とメンバーの向上心はとどまるところを知りません。農薬や化学肥料の使用を極力控え、土作りにも力を入れるなど、トマトにとってより良い環境作りを追求してきました。しかし自然の猛威に翻弄され、肩を落としたことも何度となくあったそうです。「病気で苗が全滅したり、強風でハウスが吹き飛ばされるなど、数々の苦難が襲いかかりました。その度に部会のメンバーが手を差し伸べてくれたので、ここまで続けられたのだと思います」と江島さん。同じ志を持つメンバーの強い結束が、唯一無二のおいしさを下支えしているのでしょう。
こうして絶えず品質向上をしてきた光樹とまとが、あるシェフの目に止まりました。食通ならば知らぬ人はいない、山形は庄内地方の名店「アル・ケッチァーノ」の奥田政行シェフです。糖度ばかりに目が行きがちなこのご時世にあって、光樹とまとは昔ながらの酸味と旨味がしっかりと感じられ、底力があると絶賛。佐賀を訪れるたびに足を運び、ついには奥田シェフのレシピでトマトソースを商品化することになりました。光樹とまとの伸びやかな味わいを活かすために、味付けはごくごくシンプル。食材の持ち味を最大限に引き立てる奥田シェフの美学に、光樹とまとのポテンシャルが呼応したようです。
社会人の第一歩は就農ではなくサラリーマンの道を選んだ江島さん。しかし会社勤め生活に違和感を感じ、辞職して帰郷しました。そんな折、周りからの勧めでスイスの農業研修に参加。現地の方がプライドを持って携わる姿を見て、農業の素晴らしさに目覚めたそうです。竹下さんも他の職業を経験してからのUターン就農組。「父親たちが苦労する姿を見て、農業は絶対にイヤだと思っていました。でも実際に手がけると奥深くて楽しいんです。僕たちがイキイキと働いて、この魅力を次世代へちゃんと伝えないと」と口を揃えるお二人。「目指すは高級車でハウス出勤(笑)」と冗談を交わし合う様子からも、苦楽を共にして切磋琢磨する信頼関係が伝わってきました。
「アル・ケッチァーノ」の奥田シェフと光樹とまとのコラボレーションから生まれたトマトソース。加熱調理して魅力を発揮する点も、料理人たちに愛される大きな理由だ。
12名で構成される「光樹とまと部会」。脇役ではなくメインディッシュとして選ばれるトマト作りを目指している。光樹とまとの未来を担う、若き新規就農者大歓迎だという。
※掲載の内容は、2018年12月現在のものです。