【鹿児島発】べにふうき緑茶ー:機能性を追い求めた「きゅら島」育ちのべにふうき緑茶
※きゅら=奄美方言で「美しい」の意
紅茶製造用品種を交配して生まれたべにふうき。発酵させずに緑茶として飲用することで、花粉症やアレルギーの抑制作用があるとされる「メチル化カテキン」を豊富に摂取できます。徳之島製茶ではこの機能性にいち早く着目し、鹿児島県の協力を得て栽培を始めました。温暖な気候も手伝って、収穫量は年々増大。今では日本だけでなく、海外への普及も視野に入れています。
べにふうき緑茶
徳之島の農家に生まれた豊村友二さんは、学校を卒業すると建設業に従事しました。独立して会社を起こし、日本経済がバブル期を迎えると多くの受注で潤いましたが、バブル崩壊とともに流れが一転。危機感を覚えて将来性のある事業を探していた折に、べにふうき緑茶と巡り会ったのです。当時鹿児島県の農業普及課は、県下で研究開発された品種・べにふうきの定植先を探していました。徳之島の気候にも合って病虫害にも強く、機能性も兼ね備えていると聞き、友二さんは定植先として立候補。徳之島の基幹産業であるサトウキビ、馬鈴薯、畜産に次ぐ第4の柱となると信じ、平成14年から試験栽培をスタートさせました。
友二さんは11人の有志を集めて徳之島茶研究会を発足し、専門家の指導のもと、べにふうきを定植しました。ところが4度に及ぶ台風上陸によって、幼い苗はほぼ全滅。先も見えない事業に、多くのメンバーが研究会を去って行きました。それでも友二さんは諦めることなく翌年も定植。しかし、またも台風が直撃し、鹿児島茶の一大産地・枕崎をはじめ、多くの茶畑がダメージを受ける結果に。そんな中、奇跡的に一部の畑が被害を免れていました。無事だったのは、人手不足で手が回らずに放置されていた畑。手入れされず伸び放題の雑草が、結果的に強風や塩害から幼い苗を守ってくれたのです。それをヒントに様々な対策を講じ、台風に負けない畑づくりに成功。商品化に辿り着いた時には、事業スタートから実に3年が経っていました。
徳之島は鹿児島と沖縄県の間にある奄美群島の中の一つ。厚生労働省発表の合計特殊出生率の上位を占め、「泉重千代」さんや「本郷かまと」さんで知られる長寿の島。青い海に見守られ、緑豊かな大地を牛が闊歩する「きゅら島(奄美方言で美しい島の意)」でもある。
徳之島製茶は島内の6ヵ所に茶畑を持ち、その広さは17ヘクタールにも及ぶ。豊村さん親子と3人の従業員で、協会員の茶畑の管理から一次加工まで全てを請け負う。
萌黄色の新芽が美しい。3月下旬から新茶の刈り取りが始まり、三番茶・四番茶と移って8月まで続く。その後は畑の管理や秋の番茶の刈り取りと、年中大忙し。
手前がサンルージュで奥が蒼風。遠目にも茶葉の違いがよく分かる。サンルージュはアントシアニン由来の色合いが特長で、新芽が萌え立つ様子から、口紅をイメージして名付けられた。
展望が開けたところで、友二さんは工場設立に向けて準備を開始しました。まず行なったのが、学生最後の年を大阪で過ごしていた息子・友樹さんへの「帰ってこい」コール。最初は戸惑った友樹さんですが、「勘当」という言葉まで突きつけられると、そこまで父を夢中にさせるべにふうき緑茶とは…と考え始めたのです。友樹さん自身、べにふうき緑茶によって鼻炎の不快感から解放されていたので、「実はすごいお茶かもしれない」と認識を改め、帰郷を決意しました。卒業を待たずに枕崎にある茶研究所で研修生活を始め、通常1年かける内容をわずか3ヵ月に凝縮して習得。茶の栽培から加工技術までを叩き込み、満を持して徳之島へと戻りました。
平成18年に落成した工場は、友樹さんという頼もしい工場長を迎えて本格稼働。順調に収量も増え、商品化当初は300kg程度だった出荷量が、今では20トンを誇ります。一時は存続が危ぶまれた徳之島茶協会にも新たなメンバーが加わり、30人体制に。マスコミによってべにふうき緑茶が頻繁に紹介され始めると、販売ルートも日本各地に拡大。信頼できる茶商の協力を得て、日本のみならず、ヨーロッパ各国への販促を始めました。しかし、ヨーロッパでは茶葉の有機栽培があたりまえ。表記がないと拡販は望めません。この事実を受け、平成30年をめどに有機JAS認定を受ける環境づくりを進めています。
べにふうき緑茶が軌道にのると、親子二人は持ち前の探究心と好奇心で新しい品種の栽培に着手しました。平成20年にはケルセチンを多く含む「蒼風(そうふう)」、平成21年にはアントシアニンを多く含む赤い茶葉「サンルージュ」を定植。サンルージュは淹れたお茶の美しさだけでなく、茶葉そのものに魅了されるファンがおり、海外からも注目を集めています。これからも新しい機能性茶葉に取り組んでいきたいと話す、友樹さん。べにふうき、蒼風、サンルージュに継ぐ、機能性茶葉の登場に期待がふくらみます。
茶の刈り取りが始まる3週間ほど前、お二人の案内で茶畑を見学させていただきました。あたりにはサトウキビ畑が広がり、南国の低木が茶畑を守るように連なり、よく目にする茶畑とは様子が異なります。刈り始めれば昼夜問わず作業が続くため、まさに嵐の前の静けさ。降り注ぐ陽光に初夏の兆しを感じる中、「芽が動く」と表現される、膨らみ始めた新芽があちこちに見られました。「この新芽を摘みながら、香りを楽しむ時が一番幸せです」と友樹さん。半ば強引とも思われた友二さんの「帰ってこい」コールでしたが、茶に対する情熱と慈しむ姿勢は、しっかりと受け継がれているようです。
一見ハーブティーのようだが、味は渋みの効いた緑茶というギャップが面白いサンルージュ。レモン果汁を絞り入れると、いっそう鮮やかな紅色に変わる。
友二さんは電話だけでなく、大阪へお祖母様を派遣して説得に及んだ。その甲斐あって、友樹さんは島全体のべにふうき緑茶を一気に請け負う工場長に就任。親子二人三脚で徳之島を盛り立てている。
※掲載の内容は、2016年3月現在のものです。