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【宮城発】岩出山の凍り豆腐ー:時代に流されない硬派な歯ごたえ。風土が育てたスローフード

昔ながらの歯ごたえと豆の香り「岩出山の凍り豆腐」

凍らせてから干すことで、豆腐の長期保存を可能にした「凍り豆腐」。高野山の宿坊で作られたことから「高野豆腐」とも呼ばれ、関西を中心に普及しました。この技術を受け継ぎ、独自の製法を編み出したのが岩出山の凍り豆腐。膨張剤などを添加せず、じっくりと時間をかけて氷温熟成します。美食家だった伊達政宗公のお膝元である仙台では、正月の雑煮に欠かせない食材として親しまれています。

【宮城発】岩出山の凍り豆腐

岩出山の凍り豆腐 1袋20枚入り

「とかちポワロー」を使ったレシピはこちら


岩出山の凍り豆腐は風土と知恵のたまもの

岩出山の凍り豆腐の歴史は、江戸時代の後期にまでさかのぼります。斎藤庄五郎という人が四国へ金比羅詣でに出掛けた時、奈良の小倉山で凍り豆腐の作り方を習い、岩出山に持ち帰りました。岩出山は周囲の町に比べて雪が少なく、風もさほど強くありません。湿気や強風を嫌う凍り豆腐作りに適した環境を活かし、独自の製法を開発。以来、田畑が雪に閉ざされる冬の換金作物、また貴重なたんぱく源としてこの地に根付づき、経済と食文化を支える存在となりました。

膨張剤を使わないから昔ながらの噛みごたえ

豆腐をフリーズドライしたものは、寒冷地を中心に様々な地域で作られていますが、現在は工場で大量生産されることがほとんど。重曹などの膨張剤を入れて、柔らかい食感に仕上げるのが主流です。しかし、岩出山の凍り豆腐は昔ながらの手作りで、膨張剤は一切使用しません。地元産の大豆「ミヤギシロメ」を100%使い、氷温熟成した豆腐を一旦戻して水洗いし、水分を絞ることによってアクや雑味が抜けます。さらに天日または室内で乾燥させ、全ての工程に要する時間は約1ヵ月。手間暇かけた凍り豆腐は、硬めの食感と豊かな豆の風味が特長です。仙台の雑煮には欠かせない食材で、年末になると凍り豆腐を買い求め、約60km離れた仙台市内から岩出山に足を運ぶ方も多いそうです。

中森豆腐店は江戸時代に岩出山伊達家の家臣や子弟の学問所だった「旧有備館」のすぐそばに位置する。かつては凍り豆腐を天日干しする風景があちこちで見られた。
中森豆腐店は江戸時代に岩出山伊達家の家臣や子弟の学問所だった「旧有備館」のすぐそばに位置する。かつては凍り豆腐を天日干しする風景があちこちで見られた。

豆を蒸す圧力釜とできたての豆乳からもうもうと湯気が上がる。「この蒸気のおかげで風邪はひかないよ」と治さん。親子3人のチームワークで次々と豆腐ができあがる。 豆を蒸す圧力釜とできたての豆乳からもうもうと湯気が上がる。「この蒸気のおかげで風邪はひかないよ」と治さん。親子3人のチームワークで次々と豆腐ができあがる。


地元産の大豆「ミヤギシロメ」のみを使用し、硬めに仕上げた豆腐を更にプレス。こうしてできあがった豆腐は、下に手を入れて持ち上げても崩れない。
地元産の大豆「ミヤギシロメ」のみを使用し、硬めに仕上げた豆腐を更にプレス。こうしてできあがった豆腐は、下に手を入れて持ち上げても崩れない。

薄くスライスした豆腐は専用の冷凍庫で氷温熟成。マイナス3度からマイナス12度を行ったり来たりさせて2週間経つと、均一に「す」が入ってスポンジ状になる。
薄くスライスした豆腐は専用の冷凍庫で氷温熟成。マイナス3度からマイナス12度を行ったり来たりさせて2週間経つと、均一に「す」が入ってスポンジ状になる。

伝統を守り抜くという覚悟

50年ほど前まで、凍り豆腐を作る農家や商店は100軒近くありました。しかし、天候不順や後継者不足に悩まされ、現在では5軒を残すのみ。そのうちの1軒「中森豆腐店」は60年近く続く豆腐専門店で、2代目の中森治さんご夫婦と、息子さんの3人で切り盛りしています。治さんはサラリーマン時代を経て、結婚を機に豆腐作りを始めました。隣町(鳴子町)出身で、それまで凍り豆腐の存在さえ知らなかったという治さん。40年経った今では町を代表する作り手になっています。まわりが廃業していく中、「うちは息子が継いでくれるから安泰です。最後の1軒になっても作り続けますよ」と伝統を守り抜く覚悟を語ってくださいました。

豆腐屋の朝は早く体力勝負

中森豆腐店の始業は午前3時。日の出の気配さえ感じられない時間に、もうもうと湯気を吐き出す工房へ伺うと、中森さん親子3人が“あ・うん”の呼吸で作業していました。次々と豆腐を作ってプレスし、脱水した板状の豆腐を特注の機械で切り分けます。その数1日15,000枚。必要となる大豆の量は、普通の豆腐の1.5倍で、1日に約150kgを使用します。重い豆腐をひっくり返したり、目の高さまで持ち上げたりと、足腰への負担は相当なものでしょう。「毎日この繰り返しだよ」と湯気の間から笑顔をのぞかせる治さんは、言葉と裏腹にどこか誇らしげ。作業の終わりが見え始めると、ようやく始発電車が工房の横を通り過ぎました。


手から手へと伝えられる技術

切り分けた凍り豆腐は工房内の冷凍庫で氷温熟成。約2週間で均一に「す」が入り、スポンジ状になります。解凍して水に浸して絞ったものを、かつては「い草」で編んで天日乾燥させていましたが、中森豆腐店では室内乾燥に切り替えました。ここ数年の天候不順や衛生面を考えた上での決断です。しかし、い草で編み上げる姿は昔のままで、100%手仕事。1日に850束も編むという宮澤悦子さんは、正確さにも定評がある大ベテラン。最盛期には何十人もの職人が工房の一角で車座になり、その早さを競ったそうです。人数こそ少なくなりましたが、この方たちの技術なしに岩出山の凍り豆腐を語ることはできません。

守るだけでなく新しいことにもチャレンジ

氷温熟成後、乾燥させずに商品化した「凍みっぱなし」も岩出山の名産品。2011年にこれを利用したご当地グルメ「凍みっぱなし丼」がデビューしました。味を含ませた凍みっぱなしを揚げてカツ丼風に仕上げてあり、言われなければ肉と勘違いしてしまう食べごたえ。この丼専用のオリジナル凍みっぱなしを開発したのが中森豆腐店で、製法は企業秘密です。「伝統を守ることも大切だけど、新しいこともしなくては。良いものを作っても忘れられたら意味がないから」と話しながら、凍みっぱなし丼をかき込む筆者の姿を嬉しそうに眺める治さん。他にもこんな食べ方があるよ、と矢継ぎ早にレシピが挙げられ、メモをとるのと食べるので大忙しでした。

治さんが作った凍り豆腐を編む宮澤悦子さん。あまりにも素早く編み上げるため、シャッタースピードが追いつかない。豆腐を丁寧に扱いつつ、キュッと締め上げる絶妙な力加減はベテランのなせる技。
治さんが作った凍り豆腐を編む宮澤悦子さん。あまりにも素早く編み上げるため、シャッタースピードが追いつかない。豆腐を丁寧に扱いつつ、キュッと締め上げる絶妙な力加減はベテランのなせる技。

2011年秋に誕生した「凍みっぱなし丼」。肉に勝るとも劣らない食べごたえだ。大崎市岩出山の「勇㐂食堂」や「あ・ら・伊達な道の駅」などで食べることができる。
2011年秋に誕生した「凍みっぱなし丼」。肉に勝るとも劣らない食べごたえだ。大崎市岩出山の「勇㐂食堂」や「あ・ら・伊達な道の駅」などで食べることができる。


※掲載の内容は、2015年12月現在のものです。